他人事なら角界を追放されてもお笑い界を追放されても笑えるのか?

今までグレーだったものが急に黒になり角界を追放されたりお笑い界を追放されたりしたら普通の人なら理不尽だと思うだろう。
しかし庶民にとって自分達と関係ないのならそれで良いのだ。
角界を追放されたら力士は生活が出来なくなってしまうかもしれない。
お笑い界を追放されたら芸人は生活が出来なくなってしまうかもしれない。
それを適当な口調で不真面目に罵詈雑言を吐く゛自業自得゛と。
ではそんな人間が万が一通り魔に殺されて死んだら゛自業自得゛。
他人を蔑ろにする世の中のつけは必ず返ってくる。

全ての通り魔はホアキン・フェニックス版ジョーカーと同じ過程を踏む。

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母にいつも言われた゛どんな時も笑顔で゛
と予告編冒頭で語るフォアキン・フェニックス演じるジョーカーになる前の大道芸人はこう続ける。
「俺には使命があるらしい
人々を楽しませることだ
だが世の中はイカれちまってる」

2分24分の予告編の中で大道芸人は、
ピエロの出で立ちで楽しそうにサンドイッチマンとしてパフォーマンスをするも通行人に看板を奪われ殴られる。
ピエロの出で立ちのまま地下鉄の車内で泣いていたら殴られる。

次第に大道芸人「この街は腐敗した」と言われるような犯罪に恐らく手を染め彼の身なりはジョーカーのそれになる。
ジョーカーが何をしたのかは知らないがテレビのコメンテーターは「卑怯者の犯行ですよ素顔を隠してる」と強い口調で語っている。
最終的に大道芸人は予告編の中で完全にジョーカーの雰囲気を漂わせ靴に何をしこんだのか火花を散らしながら跳び跳ねる。

多くの通り魔が通る過程と同じだ。
まず始めにジョーカーは母親の言う゛どんな時も笑顔で゛と言う言葉と現実の解離に悩まされる。
現実の解離に疲弊すると言う通り魔になる人間がまず通る過程だ。

そして多くの苦しい現実を越えてジョーカーは「この街は腐敗した」と言い放つようになる。
世の中に愛想を尽かしてやがて犯行に行き着く。

しかし今回のジョーカーが特殊なのは、「話せば楽になる?」と言う問いかけに笑顔を向けたまま何も語らない事だ(と言ってもこれは予告編の為この後に言葉が続くのかもしれないし、実際のその出で立ちはジョーカーになる前の大道芸人が尋ねられているのだが)。
ジョーカーは多くの場合軽口で笑えない冗談を飛ばし、ヒース・レジャーが演じたジョーカーのようにベラベラと喋る。
しかしこのジョーカーは語らないのだ。

ジョーカーだけではなく、多くの通り魔もそうだ。
通り魔は捕まると大抵は自分の身の上を話始める。
ただ話した所でマッチョを気取るコメンテーターに正論めいたコメントを言われるだけだ。
ジョーカーでなくても「卑怯者の犯行ですよ」と。

川崎殺傷事件の容疑者の家にテレビとゲームしか無かったそうだ。
当たり前の事ながらコメンテーターは通り魔の犯行は100%否定する。
通り魔事件や凶悪事件は何軒も起きており、遂に通り魔も学習し始めたのか川崎殺傷事件の犯人は通り魔お決まりの社会に不満を言うターンを儲けずにそのまま自死してしまった。

川崎殺傷事件はテレビメデイアと日本社会が育てた物でありゲームが直接の原因ではない。

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引きこもりであった川崎殺傷事件の容疑者の家にはテレビとゲームしか無かったそうだが、私はゲームをしていて人を殺したいと思った事はない。
ただ有吉弘行マツコ・デラックスの二匹目のドジョウで出てきた子役上がりのコメンテーターに黒い感情を覚えた事はある。
テレビメディアには謙虚になって貰いたいのだが、人間は大抵の場合テレビゲームで殺意を育てたりしない。
人間関係の中で育つ物であり秋葉原事件の場合、人間交差点と言うインターネットの掲示板が一つの要因になっていた。

今回の容疑者にとってのパソコンはテレビじゃないのか?
確かに容疑者が行った犯行は許されない物だが、容疑者に"欠陥人間"或いは"1人で死ね"と語りかけるテレビが事件前の容疑者にとっても優しい物だったと思うのだろうか?
通り魔事件の犯人が何も語らずに自死するケースは多くの人が聞いた事がない。
世の中に何も言い残さずに、怒りに耐えかねたように起こした犯行はゲームが育てたとでも言うのだろうか?
反論されたら露骨に不機嫌になる坂上忍に自分の気持ちを分かって貰おうとする人は少ないだろう。

関係の無い話だが容疑者に取って世の中を知る手段の殆どがテレビだったはずだ。
通り魔の言い分なんて社会が聞く耳も持たないのは知っているが遂に通り魔側も諦めて社会に語る言葉を持たなくなったのだ。
だが殺さなくてはどうしても怒りが収まらない。
それは情けない社会では無いのか?

社会に強い悲しみと怒りを持ちながら人命に奪う価値が無いと知る人間はどうすれば良いのか。

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人命を奪う事に意味があると思うなら人から奪うだろう。
それは当人の答えだから一度その解答を導き実行に移してしまった人間は絶対に反省はしない。
では人命を奪うに意味がないと分かりながらも、社会に耐え難い怒りや悲しみを持つ人達はどうするのが正解なんだろう。

半年後、一年後、五年後、通り魔事件はまた起きる。

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犯人を強い言葉で非難すれば通り魔事件が無くなる訳ではない。
半年後か一年後か五年後か通り魔事件はまた日本で起きる。
今のネット社会では通り魔事件なんて起きれば誰もが好き勝手をコメンテーター気取りで書き込み、その書き込みが人間は自分の事しか考えていない事を浮き彫りにさせる。
誰も通り魔事件が起きない世の中にしようなんて考えてはいない。
私も含めて誰でも言える言葉を適当に言って気持ちよくなっているだけだ。

そんな風だからどうせまた通り魔事件は起きる。
どうせ起きるんだからその犯人は別に誰でも良いんだ。
人の死なんてその程度だ。
通り魔事件程度で人死にが出ても社会全体の人口には影響は無く、影響が出る程度人が死ぬ戦争やテロと言う話になるといずれ歴史として処理される。
だから殺人なんて意味は無い。
殺人に意味が無いなら生きる事に意味も無い。

世の中は通り魔や死刑囚の怒りや悲しみを理解しないからキャリアや金を手に入れるしかない。

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死刑相当の罪を犯す人間の心に、世の中に自分の怒りや悲しみを分かって欲しいと言う気持ちが少しでもあるなら残念ながら世の中は弱者である殺人者の悲しみも怒りも理解はしない。
彼等が理解できるのは自分の怒りや悲しみのみでしかない。
だから世の中が憎かったら人を殺すのではなく、キャリアや金を手に入れる事だ。
大金かキャリアを手に入れて周りの怒りや悲しみを涼しい顔で見ている事だ。
その態度が一番の世の中に自分の怒りや悲しみを分からせる行為なんだ。
それが出来ないのなら結局は何をした所で結果は同じなんだ。

運命を変えると言うのはアメコミのデットプールがやるようなフィクション。

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私の偏見の話をしよう。
自分の身分を努力だと語りたがる一部が呼ぶ上級国民は多い。
自分の身分を運や外的要因のせいにする一部が呼ぶ下級国民は多い。
では創作の会話を見てみよう。

「こんなはずじゃなかった何もかもアンブレラのせいよ」
「あんたもそうだろアンブレラの人間だ」
「そうよ、でもこんな事になるなんて想像してなかった
確かにGウイルスは作ったわでもこんなのは想定外」
「いくら弁解しようがあんたの責任だ」

街1つを壊滅させられるだけのGウイルスを産み出した開発者の一人が自分のせいではないと言い訳をしている。
バイオハザード RE:2の警察官 レオン・S・ケネディとアンブレラの女性研究員 アネット・バーキンの会話だ。
私は思う上手くいかない時に運や外的要因のせいにするのは人間の思考の癖でありそこに年収は関係が無いと。
俗に言う池袋暴走事故を起こした上級国民は自分の今の境遇をどう思っているのだろうか?
彼は故意に事件を起こしたのではないのは重々知っている。
だからと言うか故意に起こしたのでは無い為、死傷者の数は断然に少ないが結果的に遺族からしたら秋葉原事件に巻き込まれたのと殆ど反応が変わらない。

老いたから事故を起こしたのだろうが、こんな事故を加藤智大と同じ年齢で起こしていたら既に定年した輝かしい彼のキャリアはない。
デメリットを与えれば一から十までその事が起きた理由を求められる。
事故を起こした上級国民は今そう言う世間の目の中にいる。

自分の今までのキャリアが帳消しになるような事故を起こした上級国民は今何を考えているのだろうか?
自分が犯した罪と真っすぐに向き合えているのだろうか?
前科3犯を名乗るVチュウバーの懲役太郎は、故意に事件を起こした人間の代表格である(懲役太郎が実際に交流したと動画の中で主張している)死刑囚と言う存在を例に出して、「どう思っているのかな本当の所はという事を聞いていった時に殆どの人間が本心から反省なんてしていないと言うような事を思わせられるようなそのやり取りを聞かされる訳です」と述べている。
では交通事故を起こした上級国民はどうかと言うと、やはり人は自分の境遇や罪を受け止める事なんて出来ないのではないかと私は思う。

始めに上級国民は自分の身分を努力だと語りだると言う偏見の話をした。
続けると根性論者は未来は変えられると言う考え方が好きだ。
未来は変えられると言う理由の恐らく大半は「未来が決まっていたらつまらないから」とか「未来が決まっていたら努力をしないから」と言う様な物だと思う。
では未来が決まっていたらつまらないと言う人は予め結末が決まったドラマや映画・本は見ないのか?読まないのか?
未来が決まっていたら努力をしないと言うなら、では明日から未来が決まっていると言う結論が出たらその人は努力を辞めてしまうのか?

「未来が決まっている」=「未来が見える」と言う前提証条件があると無意識の内に決めてしまっている気がするが、未来が分からない状態で政府でも科学者でも神様でも誰でも良い兎に角そう言う存在に「未来は決まっていますよ」と言われたらその人はその場で努力を辞めてしまうのか?
私は思う、結末が分からない以上未来が決まっていようと、決まっていまいと人は同じ生き方をするのだ。
未来を変えると言うのは、決まった映画のシナリオを登場人物が変えるような物だ。

そんな事は自分をアメコミの登場人物だと理解していて読者にも語りかける事が可能なフィクションの登場人物であるアメコミ版のデットプールぐらいしか出来ない。
ではデットプールがお得意のハチャメチャでアメコミの中でライターの家に遊びに行き無理矢理脚本を変えた所で、実際にはそこまでが本当のライターの脚本に過ぎないのだ。

私はどちらでも同じ結末になると考えているがこんな風だから結末が予め決まっているかいないのかの本当の所の答えは出ない。

ただ結末が変えられるなら、事故を起こした上級国民には自己責任と言うしかない。
自己責任と言われ糾弾される人間がどういう気持ちになるかは、残念ながら平穏無事な状況にいる人間には分からない。
一部が言う上級国民がそれを一番良く分かっているのではないか?
努力で築き上げたと認識している人生がこんな形を今辿っているなら、それは努力不足だとしか言いようがない。