DQNが増えるとDQN向けにカスタマイズされた居心地の悪い世界が生まれる。

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私は基本的に肉体労働者が作った建築物と言うものを信じない。
知りもしないのに偏見を言えば彼等は常に肩肘を張り合い、力のないものは罵倒し最後には力量で出切るかではなく、思い込みに委ねて仕事をさせようとする。
上の人間がしっかりとした人間なら良いが、何かの原因で実力のない人間が上に立った場合等その建物の仕上がりは保証できない。

新聞はインテリが書いてヤクザが売るなんて言ったりする。
肉体労働者=DQNではいくら私が差別主義者でもそれは絶対にないが、仮に肉体労働者を乱暴な言い方で全てDQNに置き換えてしまうと″建築はインテリが書いてDQNが作る?″いや、いわゆるゼネコンが管轄する建築物の場合上の人間も偏見を言えばDQN染みてないと勤まらない。
阿部サダヲがゼネコンの会社で働くある程度親しみの持てるサラリーマンの役でビールのCMをしていたらそれは現実味があるが、内村光良が同じ設定でCMに出ていたら違和感を持つ。
所謂ゼネコンとはそう言う人間が働く会社で、よっぽどタフじゃないと軟弱者は恐らく直ぐに逃げ出す。



話は変わるがアルコ&ピース平子祐希が家族旅行でホテルを利用していたらチェックアウト一日前に何度も電話され、間違ったチェックアウトの日時を温度感高めに何度も話されたと言う。
何故ホテル側がチェックアウトの日時を間違っていたのか分かったかと言うと平子祐希の手元には正しいチェックアウトの日時が書かれたメールが届いており、それを平子祐希が指摘すると、ホテル側の人間は自分の間違いを認識しながら結局怒ったまま″だからそれを知らせる為の電話だ″と言うような主旨の話にすり替え結局謝らなかったと言う。

これは出先の海外の話で、この対応には人種差別やその国の温度感等があるのかはしらないが、これが現状の日本なら中々ありえる話ではない。
ただ海外のホテルの職員が謝らなかった背景には絶対に″謝ったら多くのものを要求する人間″の存在があるはずだ。
何でこの話が建築の話の後に来るかと言うと、結局過度に押さえつける人間がいるから、納期に終わらない仕事を組まなくてはいけなかったり、物を頼んだり本来は謝罪しなくてはいけない人間を威圧したりと言うトンチンカンな事をしなくてはいけなくなるからだ。

そう言う風に世の中がDQN向けにカスタマイズされていくと、全部建前になって人に感謝したり誇りを持って仕事をする人が減ると思う。
例えば接客ならお客さまに失礼がないような接客から、お客が五月蝿いから行う接客に中身が変わるはずだ。
仮に上部が同じでもDQNが文句を言わないようにする事が目的の接客が気持ちの良いものな訳がない。

ブーメラン発言に予防線をはる駄目人間は面白くないがそれも仕方ない。

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ネットにはやたらとブーメランと指摘するのが好きな人がいて、言論がブーメランになる人は一部の界隈で人気がでる。

極端な例にするなら自分にも当てはまる要素を自分とは真逆の事のように語ったり、自分にも当てはまる要素で他人を批判して自分にはまったくそう言う所がないと言うような人。
そう言う人に対して、ネットの人達はブーメランと言いたくなるようで、ネット民は常日頃からそう言う″ブーメラン″を指摘できる人を知らず知らずに探していると言っても過言ではない。
私はそう言う″ブーメラン″発言に対して予防線をはるタイプで駄目人間カテゴリーの某喫煙者もそのタイプ。



ブログのタイトルだけを見れば″ブーメラン″と言いたくなるような内容だが本文を見たらしっかり予防線がはってあったりして、″ブーメラン発言をした″と思い意気揚々と本文に乗り込むと意気消沈したりする。
でも結局、ブーメランと言って叩くなら私も含めたネット民はブーメランのような発言をする人が嫌いなんだろうと思うのだが、私も含めたネット民の言動を見てもどうもそうとは言えず、恐らくブーメラン発言をした相手に″ブーメラン″と指摘するのが一つのエンターテイメントみたいになっていて、予防線をはるようなブーメラン発言は一番私のようなネット民からしたらモヤモヤとする言動だ。



ブーメラン発言をする駄目人間と言うのは当然のように叩かれるが、そう言う人を叩く人達って普段からストレスや寂しさを溜め込んでいるような人達も多くいると私は思っていて、私は個人的にブーメラン発言をする駄目人間という存在はそう言う人達の心を一部救っていると言う意味ではとても尊い存在として見ている。

私もどうせ駄目人間なら予防線を外してブーメラン発言をしてみようかとも思うのだが、寂しくてストレスを溜め込んだ誹謗中傷しかしない言うなれば私と同じようなクズの心をそもそも救ってどうするのかという気もする。

クズの心を救うのには大変なストレスがかかる上、彼等は人を労ると言う気持ちも知らないので、例えばクズ界のキリストであるsyamu gameのシャムさんの知名度に憧れる人はいてもあのポジションに担ぎ開けられそうになったら誰だって尻込みをする。



キリストに唾を吐きかけるような人間をキリストは救おうとはしない。
その為クズはキリストとは違うクズの為の救世主を担ぎ上げる。

一度でもその地位に担ぎ上げられた人間は、クズの罵倒や嫉妬心、日頃人にアドバイスを出来るような身分ではない為、 アドバイスをしたくて堪らないような人間からすぐに矛盾点がでるようなアドバイスをぶつけられたりしたりと大変な事態になる。
だから私はブーメラン発言に予防線をはるのを辞めようかとも思うが辞めない。



クズと言うのは本当に可愛そうだ、自分の心を救ってくれる存在にさえ汚い感情をぶつけるから人が離れていく。
キリスト教徒はキリストを崇めるが、クズはクズにとってのキリストに唾を吐きかけ挙げ句偶像を壊してしまうから、いつまで立っても腹が空いたような感情から離れられない。
まるで地獄の亡者のような存在で救いの手に唾を吐きかけるような存在なのだからそれもしょうがのない。

後悔について事細かく書くと誰かの自分語りの材料にされる。

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私のブログは昔から人気がないが昔は結構細かく現状について書いていたし、コンプレックスについても事細かに書いていた。
どうして今は事細かに書かないのかと言うと、自分の人生は駄目人間として薄くエピソード不足でこれ以上書いてもアクセスは増えないこと。
最初の二年でお陰様で事細かに書かなくてはいけない葛藤はある程度消化されたからだ。
それに事細かに自分のコンプレックスについて書いていると、人生の何処かにコンプレックスを抱えたような人間から自分語りの材料にされる事もあるので、それも嫌だった。



駄目人間ブログで稼いでいる人って学歴が多少あったり、人から憧れられるようなタフネスさや知恵があったりするのだが、私にはそれはない。
現実をさらけ出してもリスクしか無いことが分かったから、現実についても書かない。
私がアフィリエイトで稼げないのは頭が悪いから魅力がないから、妙な所で坊っちゃんだからだ。

むしろ底辺ユウチュウバーやブロガーの方がアフィリエイトがなくなったら困る訳。

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お金にならないなら幾らなんでもブログの内容は見直す。
アフィリエイトがまだ出ているから、好き勝手に書いているが、アフィリエイトが出ないならお金にもならなければ人との交流もないようなブログを嫌がられながらも今までのように続けるのには躊躇する。
確かにストレスの発散にはなっているが、私のブログは内容が内容なだけにこれをお金にならなくても続けたいとは思えない。
維持はするが文章は減らさなくてはいけない。
そんな新しい葛藤を生まないための調節等を考えていたら今のアフィリエイトが出ている現状がどれだけ恵まれているのかと本当に思う。

ユウチュウバーの出始めはと言うか今でも言う人はいるのだが、″ユウチュウブが収益化できなくなったらどうするの?″と専業ユウチュウバーに疑問をぶつけた所で新しい仕事を探す。
或いは今までの貯金で食いつなぐこれしかないだろう。

確かにアフィリエイトがなくなったら専業ユウチュウバーや専業ブロガーは困るだろうが、仕事と言うのは無くなれば探すと言うのが一般的な答えだ。

逆に私は専業ではない底辺ユウチュウバーや底辺ブロガーはどうすればよいのかと聞きたい。
今までの現実を忘れれるストレス発散もなくなれば、それがお金にもならなくなる。
現実を見れば良いのだろうが現状が不調だから、アフィリエイトをやっていたんだろう。

誰に対しても需要のない話をする人。

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面白い話として本人は話しているのに、面白くない話があったとしてその本人が嫌いなら只苦痛だ。

仮にその話が面白くなくても、本人がしたいから話しているならその話は本人にとっては需要のあるものだが、本人は自分の為ではなく他人の為にしていると思っているのなら猶更苦痛だ。
真夏に温風が流れてしかも止めようがない屋内のようなもので、あとは本人の口を塞ぐが我慢するしかないと言うような状況になる。

本人が自分の為にしていて申し訳ないが、少し○○を手伝ってくれないかと言うような態度なら喜んで相手に付き合うかもしれないが、全く必要がない事を恩きせがましく始めて、お前の為にやってるんだから少しは○○しろよと言うような態度なら全く付き合いたくはない。
しかしこういう人はネットにも肉体労働にもよくいる。
私は需要のない話をブログに書いて人に迷惑をかけるが、勿論人の為だと思ってブログなんてやってはいない、自分の為だ。

陰キャラ、コミュ障、非リアが人中毒になるべきではない訳。

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人中毒にならないようにしている。
人中毒になった所で適切な場所で供給されなくては辛いめにあう。
見てはいないが「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のイモータンジョーは「水に心を奪われるな。禁断症状で生きる屍になるぞ。(映画ライターの高橋ヨシキの言葉を借りるなら「水中毒になった奴は浅ましいし水水言うようになってだめだ」)」と言う言葉を発し、詳しい背景は分からないが事実その通りだと思う。
砂漠では適切に水が供給されないだから水中毒にはなってはいけない。

中毒患者になれば粗悪なものでも必死になって求めて挙げ句自分を失うだろう。
癖で食事をすると後から考えるとそれほど食べたくない物を食べている感覚に似ている。
寂しい時や或いは自分が思った以上に人間関係が供給された時などは人中毒になるなと言い聞かせている。
中毒になれば今目の前に気まぐれにある縁をないがしろにし、足りないものばかりに目が行く。
中毒になった時の感情には純粋さがない。
だから上手くいかない。

【陰キャラ、ブサメン、コミュ障】非リアの恋の結末を描いた能楽″恋の重荷″

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能楽″恋の重荷″と言うのは週刊少年ジャンプで連載されていたD.Gray-manの1エピソードの下敷きとして使われた物語であり、老人が若い娘に年甲斐もなく恋をする事。
騙されたと知った翁が怒り狂う事、私は恋の重荷について断片的にはこれだけしか知らない。

知りはしないが人は幾つになっても人は人を好きになる可能性がある事、しかもその感情は枯れたと思ってはいても、いつ押し寄せるか分からないとものであると言うような誰の身にも起こり得る話を物語にしたものだと思っている。

叶わない感情と言うのは本来であればある程度諦める事は可能だと思うし、それが現金で買えるものなら身の程と現実を知り尚更だと思うのだが、人の心と言うものには値段がついていないため諦めると言うことは中々困難なのだろう。
感情を納得させる事が困難な事と言うのは難儀だ。