無知の先にある罪はまるで避けられない運命のような呪いだ。

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福島原発の行く末を知っていればあの場所に原発は作らなかっただろう。
交通事故で人の命を奪うと知っていれば池袋暴走事故の俗に言う上級国民も免許を返納しただろう。
しかし人にはそうなると知らなければ何度でも同じ状況を繰り返す場面がある。
それを罪と凶弾されるなら人はどうすれば良いのだろう。
それは正論を言えば免許を返納すれば、原発を推進しなければ良いのだが、その時の考え方、その時の流れで何度でも同じ状況になってしまう事はあると思う。
結末を知らなければ人は何度あの日に戻っても同じ過ちを犯し、結末を知ってから過去に戻ると言うのは意味の無い妄想だ。

宝くじを批判する人間の心理。

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宝くじの還元率の話をする例の記事は大抵はファイナンシャルプランナーを自称する人間が書いているがアメリカの土を越した高額当選者を前にしてその記事の内容をドヤ顔で語れるのか?
宝くじを批判する記事はまるで宝くじを買ったら破綻するとでも言いたげな勢いだが、株とFXの方がどう考えても破綻に近い。
そこに関しては賢く運用すればと言う話になるのだろうが、要は株やFXを売りたい人間からしたら、宝くじはライバルである側面もあるのだろう。

宝くじの還元率の話をいかにした所で当たりがあるのであれば娯楽の範囲内で買うのはありだと思う。
だから私は還元率なんて分かりきった話を馬鹿にしている庶民に書いて下さるのでは無しに、宝くじに当たりは無いと断言して欲しい。
しかし大抵の場合、政府が不正をしていてもファイナンシャルプランナーの先生程度が宝くじの不正が行われている確かな筋の話を知っているとは思えない。
まあ不正の確かな筋の情報を持っているかいないかは憶測でしかないが、持っていないのであれば記事を書いている先生方も、本当の本当に宝くじを買う事が損なのか恐らく不安だろう。

努力で地位を築いたと考える人間にとって運程度で億を持つ人間が現れる事は恐らく嫌なはずだ。
だから確かな筋からの不正の情報を持っていないなら上から目線のマウントと、宝くじ程度で億万長者が出たら嫌だと言う思いを還元率で包んだ話は私は嫌いなんだ。
仮に宝くじに支払う生涯のお金が30万円だったとして、その30万円で救われる人生って何だ。

娯楽として見るなら人は生涯万単位で使うと思うが、何故か宝くじは一部の人の強いアレルギーを引き起こす。
経済がまわらないから消費を促す、しかし消費をしている様を見るのは腹が立つと言うような人間の腹の底には承服しかねる。
ましてや消費した上で億万長者になられたら堪らないだろう。
これで宝くじの還元率について書くようなファイナンシャルプランナーの大半が、確かな筋から政府の不正を聞いているなら私はピエロだが、恐らく仮にあるとしてもっと上級じゃないと不正の証拠は知らないだろう。

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世の中が怒りを理解しないなら泣き寝入りするしかないのか。

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仮に自分自身の怒りを世の中と神様に知らしめる為に死刑相当数のゲージを埋めたとする。
だが(政府の不正の可能性は除外した場合)宝くじで億万長者になる方が死刑になるより確率が高い事にこの国ではなっている。
しかし死刑囚になる寸前の人間が宝くじを買っていたとしても、神様はその人間を億万長者にして犯罪を止めようとはしない。

そして景気の良い高額当選者の数の割に片手で数える程にしか今までネット上に高額当選者が現れていないのだから政府の不正を疑われてもしょうがのない宝くじ。
その宝くじに本当に不正があるなら政府は、多くの犯罪が貧困を解決すれば止まる事に目を瞑り、殺人事件を止めれる可能性より自分達の私腹を肥やす事に熱心な事になる。

まり自分自身の怒りを知らしめる為に、死刑囚になった所で神様がいたとして止めない程度のどうでも良い行いである事は明らかであり、被害者だって神様が死ぬのを止めない程度のどうでも良い命なんだと私は思う。
仮にその上で政府が宝くじに不正を働いているなら(かなり勝手な飛躍をすると)神様も世の中も潜在意識では殺人なんて起きるなら起きたでしょうがないと考えているんだろう。

だから死刑囚になった所で神様も世の中も自分の事しか考えられない民衆も誰も死刑囚の怒りなんて分からないし、その気持ちは自分の事しか考えられない民衆の中から死刑囚になった自分自身にしか分からない訳である。
しかし警報上一番のタブーである死刑相当分の殺人を犯しても世の中に自分の怒りが伝わらないのだったら当人の耐え難い怒りはどうしたら良いのだろうか。
本当に泣き寝入りするしかないのだろうか。
その怒りをぶつけたら死刑になる程の深い深い怒りを沈める方法は、そんなに幾つもあるとは思えない。

性格の悪さを自覚する人間は純粋無垢な存在に強い憧れを持つ。

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邪な人間は純粋な人間を知る。
純粋な人間が何を知っているかは知らないが、自分を純粋だと思い込んでいる人間は自分本意のポジショントークで分けた純粋・不純を頑なに正しい境界線だと信じて譲らないように私には見える。

邪な人間は真に純粋な存在がどれだけ自分達から遠く、偽装できない希少な存在であるかを知っているから邪の象徴であるなんJ民は純粋な存在をぐう聖と呼び誉め称え、逆に不純を感じる人間が純粋さを感じさせようとする様を激しく嫌う。

私は何度純粋な存在に何度憧れたかは分からない。
しかしその度に自分は純粋な存在にはなれない事、自分には純粋な存在は手に入らない事、自分には純粋な存在は守れない事を知り激しく落ち込んだ。
純粋な物を見ただけでこうなのだから、創作でも事実でも純粋な物が傷付けられる様には私は心をえぐられたような気分になる。

私は人間の幸不幸は確率に過ぎない。
不幸になってはいけない人間なんていないと常々考えているが、仮に例外があるならそれは純粋な存在だ。

しかし不幸の中では不純物こそ、自分は純粋無垢で傷付けてはいけない存在のように自尊心をやたらと見せつけてくる。
釜に入れられたら誰だって助かる正当性を主張するがその様は見てはいられない。
だから閻魔大王はあんなに恐い顔をしていて人間に容赦なく罰を与えれるのだろう。

【100人いたら10人から20人は批判しかしない層】ティロフィナーレ加川のアンチ論。

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「インターネットってある種、一定層がいてアンチコメントを書くの
そう言う人っているんですよ
100人いたら多分ネットで10人から20人くらいいると思うんだけど本当に只久文句ばっかり、もうその人の事知らなくてもずーっと文句ばっかり書いてる層はいるの」
とニコ生から名前を売った配信者のティロフィナーレ加川(加川プロ)は発言していて、彼にもアンチはいる為彼のアンチ論についても、自分を擁護する為に叩く事しかしない層を100人いたら10人~20人と高く見積もっているのではないかと、思わなくもないのだが実際にツイッター等を見たら四六時中批判と誹謗中傷しかしていないようなアカウントは意外と多くある為、当たらずも遠からずかもしれない。

人事を尽くして天命を待つと言うが天命は確率に過ぎない。

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人事を尽くして天命を待つと言うが人事を尽くしても幸不幸で分けたルーレットの確率の幸が増えるだけで、天命が不幸で止まる可能性も普通にある。
天命は神様ではなく確率が決めていて、その確率を神様と呼ぶならそれもそうだと思うが、確率に慈悲の心なんて別に無い。
神様だろうと確率だろうと只決まられた条件でルーレットを廻しているに過ぎないのだろうと思う。
だから天命が人間が考えるような正しい結果であるべきだなんて思い上がりの考えだ。