サイコパスに見えるエンパスについて。

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私は自分の事をエンパスだと思っていているが、他人の気持ちが自分の気持ちのように心に入ってくるのが辛い為、人間の気持ちなんてどうでも良いと思っており、その態度がサイコパスに見える事もあるかもしれない。
私は自分の意思の範囲外で人に危害を与えるのは嫌だが、明確な意思で人に危害を加えるなら絶対に反省しないと決めている。
そして私は人に迷惑しかかけないことが分かりきってしまったので、後は意思の範囲外で人に迷惑をかけ続けるか、或いは自分の意思の元、自分が一生分でかける迷惑を短期で小規模な人間に与えて終わりにしようか考えている。
一生自分の意思とは別に人に迷惑をかけるのはもう精神的に耐えきれないからだ。

秋葉原事件の加藤智大に見る通り魔になる人間の心理。

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通り魔の心理として自暴自棄と社会に体する強い不満、そしてこれから先は益々偏見だが構ってちゃん精神があるのは間違いない。
その先に極刑を望んでいたのかは別だが、あの秋葉原事件の加藤智大の判決が死刑だったように、望んでいるかいないかに関わらず通り魔の判決はその人が社会に持つ恨みが結果となり、その恨みが強ければ強いほど極刑に近くなる。
私から言わせると通り魔をやっているのに、途中で疲れて中途半端な人数しか殺傷出来なかったり、警察に捕まり自分の愚痴を世の中に聞いて貰うことが先行する人間は本当に何の為に通り魔をやったのか分からない。

 

中途半端な犯罪の先にあるのは厳しいルールの中で行われる犯罪者との陰湿な共同生活だけであり、仮に出所しても通り魔になるような人間に未来はない。
自暴自棄になり人生に光が見えないから犯行に至ったならキッチリと極刑に値する人数分を殺すべきだ。
しかし通り魔で極刑に到達出来たのは加藤智大を含め、数人しかいない。
全て網羅しているかは分からないが死刑を理由に犯罪を犯した13人+死を理由に犯罪を犯した1人がまとめられているサイトを見つけたが、そのサイトのまとめの中では明確に死刑判決について書かれているのは僅か4人だけだ。

ichiranya.com

それぐらい死刑になるのは難しく、3分の1は今まで人生の選択の間違いや不運の果てに極刑を望むようになった人間が当てられる確率としては心もとない。
運から見放されたと感じお釈迦様にも見捨てられるような大罪を犯した人間の願いが叶うかと言えばかなり怪しい。
しかし意外なのは加藤智大の名前が上記サイトの死刑を理由に犯罪を犯した13人の中にはないのだ。
捕まってから多くを語る被告と言うのはいるが加藤智大の有名な発言は殆ど全て掲示板の発言で、その発言のインパクトが強すぎるだけかもしれないが、彼が逮捕後語った発言と言うのは殆ど記憶にない。

 

完全な憶測だが加藤智大は、最後の最後まで自分が殺人を起こさない可能性に賭けていたのではないかと思う。
加藤智大の殺人の準備は、離職後に履歴書を送るような人生を続ける為の行動に過ぎず、最後の最後まで加藤智大は殺人欠航と言う履歴書が跳ねられる事を望んでいたのではないかと私は思う。
加藤智大が願ったのは、パートナーがいる普通の生活であり決して殺人ではない。
しかしパートナーも居なければ頻繁に職を変えるしか無いような人生は次第に彼の働く意欲を削ぎ、殺人の可能性に履歴書を送りたいと思うまでになった。

仮に死刑に至らなかったら加藤智大も他の被告のように「死刑を望んでの犯行」と発言しかたもしれない。
しかし実際に死刑に値するであろう惨劇を起こした加藤智大は、自分に驚いていたのではないかと思う。
曲がりなりにも救いを求めながら懸命に働き続け、遂には死刑に値するであろう犯罪を犯した自分自身に。
人生の主人公である自分を、多くの言い換えが出来る何者かが゛ついに見捨てた゛と言う認識に。
そして今この場で何者かに見捨てられるならどうせ人生を続けていても、録な終わり方をしなかったであろう憤怒に身を震わせただろうと思う。

 

加藤智大は自分の中で現実を認めた後に遂には諦め、深い絶望と悟りからそれ以上語る言葉を持たなかったのかもしれない。
発言と言うのは分かって貰うためにする事だ。
掲示板の住人達に見捨てられたと感じ、その後の努力も実らず、殺人と言う決意を止めるでもなく欠航させた自分の人生に体する深い絶望。
語った所で誰に通じるかと言う話になるし、ましてや警察官のような公務員一二を争う陰湿で精神を酷使する仕事をする人間に通じる類いの話ではない。
通り魔にまでなりながら、極刑に値せず警察官に愚痴を言うと言うような結論に達する人間は本当に惨めだ。
人を殺さないと話も聞いて貰えないのではないか。

 

通り魔になりながら、極刑に値しないと言うのは私にとって、社会に愚痴を聞いて貰うために犯行に至ったとしか思えない。
殺人を犯さなければ人に悩みも聞いて貰えない人間が「自分の人生はこんなに辛かった」と聞いて貰うために起こす茶々な犯行。
そんな発言を厚顔無恥なワイドショーのコメンテーターに読ませ、警察官のようなブラック企業のような組織に属してでも公務員の安定と退職金の為に勤め続けると決意した人間に話して理解されるはずがない。
報道の向こう側にいる世間に同情されたいとしても通り魔に同情している人なんて私は見た事がない。
そもそも同情どころかこのような文章を書く私でも加藤智大以外の通り魔をそもそも覚えてはいないし、同情以前にあまり認識がない。
そして私が加藤智大私が同情しているのは彼が極刑に値するぐらい深い絶望を背負っていたからだ。

極刑にも、無期懲役にもならない人間の犯行なんて、人生に体する絶望なんてたかが知れている。
極刑を敢えて外す理由があるなら身内に体する復讐であり、いつ刑務所から出てくるか分からない恐怖を味会わせる為と言う事も考えられるが、人を殺して敢えて極刑を免れてまで、そんな事を考えるとは決して思えない。
通り魔は自暴自棄な人間の犯行であり、犯行前にそこまで考えが及ぶ訳がない。

 

私にとって結果的に死刑にならなかった通り魔は愚痴を聞いて欲しいが為に犯罪に手を染めた構ってちゃん。
しかし実際に死刑に相当したらしたで、 寿命を極端に縮めるやり方で死を与えられるだけだ。
だからわざわざ望んで通り魔になる人間なんて居ないが、そうせざるを得ないならそうするしかないし、そこに後悔はないと言わなくてはいけない。
普通の人は通り魔になんてならないんだから、その結果が起きた時点で続行不可能なストレスを抱えている。
衣食住が安定している内はそうはならなくても、結果を起こしてしまった時点で遅かれ早かれそうなる運命だったんだ。

会社と言う組織には有能か意地の悪い人間か先が無い人間が残りやすい。

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自分の事しか考えないと言う行動を多くの人が組織で取れる訳ではない。
だから組織には有能か意地の悪い人間か先が無い人間が残りやすい。

譲れない一線を世の中から超えられたら絶望感は深い。

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人にはそれぞれこれ以上は譲れないと言う一線がある。
しかしそれはたかが一人間のする事なら絶望感はまだ低いが問題なのは世の中に一線を越えられた場合だ。
譲られない部分にまで侵入されヘラヘラしていたら、ずっとアメを渡さないのが世の中だろう。

改善できない迷惑者の一生は極刑レベル。

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実の父親から業人と言われたシャムさんのように何をしても迷惑にしかならない人間と言うのは実際にいるんだ。
シャムさんはたまたま画面の向こうで面白がられる存在だっただけで彼の周りで実際に関わった人間の多くは迷惑しかしてない。
あの男が自分の親族だったら同僚だったらと考えて見ろ。
自分の意思とは関係なく一生迷惑をかけるしかないならいっそ極刑になるのも良いかもしれない。
自分が与える一生分の迷惑が極刑レベルなんだから結末は変わらない。
迷惑な人間を一生続けるのは極刑になるのと同じ事。
自分の存在が迷惑にしかならないと感じしかも改善出来ないなら 、末路の罪は極刑の判決を受ける罪人と対して変わらない。
改善出来ない迷惑者が極刑になったのなら、それは遅かれはやかれ彼が人生で背負う罪の重さで、刑になるレベルで一気にやるか、一生かけて分散させて人に嫌な思いをさせるかの違いでしかない。
改善出来ない迷惑者で人生の先がなくなったら極刑になれば良い。
どうせ人生で犯す罪は変わらないんだから。

ホラー映画の怖さは周りが助けてくれない事にある。

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超常現象(オカルト)的な事態に見舞われた場合、社会は全く助けてはくれないだろう。
映画の場合、主人公が信じられない存在か或いは社会が制御出来ない存在に頻発して襲われる事で次第に世の中から追い詰められていく。
主人公に何があったのかは知らないが原因不明な理由でノイローゼになられたり、原因不明な理由で主人公の周りで不審な事が続けば社会は不審な目で主人公を見だす。
世の中から見て信じてもらえない出来事に出会せ、それが不幸な状態な場合現実は恐怖映画になる。

分かっていると言いながら分かっていない人間とは大抵の場合、話し合いは通用しない。

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分かっていると言いながら分かっていない人間はこの世で一番物事が分かっていないので話し合いは通用しない。