興味が無いと語りながらその話題についてわざわざ話す人の理由と心理。

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興味には恐らく二種類あって、たとえるなら感情的にプラスを産むのが正の興味。
マイナスを産むのがの負の興味。
たとえば書店に入った場合、人の記憶に残るのはほんの少しの本だけで「こんな本興味がないよ」と感じる本には実は興味がある。
それが負の興味。
本当に興味がない本には感情すらわかない。

怒りの特別感が薄れた建築業界は人手不足の一途を辿るだろう。

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怒りの特別感が薄れ、一番苦労しているのは建築業界だろう。
中途半端なチンピラやDQNはよく誤解しているが、怒りの特別感は関係性の中で産まれる。
急に怒鳴られるのは勿論恐いが、喉元すぎればキチガイに絡まれたようなものだ。

建築業界は長らく怒りに特別感を持たせる為、あの手この手で対象の時間を会社の為に拘束し、その人の人生にしてしまい、そこで怒られるという体験に特別感を与えてきた。
しかし今はどうだ現場で胸ぐらを掴まれた。
自分が悪かったのか?
昔なら心は現場に囚われ、相手の怒りに特別感を与えていた。
しかし今はどうだネットで幾らでも情報は手に入り、自分を正当化出来る。
正当化出来るとどうなるか、自尊心が芽生えるとあいての怒りに特別感を感じない。
特に建築業界は相手の首根っこを掴んでマウントを取ろうとする人間が多いので、段々とあいてが理不尽な事でも怒りマウントを取ろうとしとくる事も分かってくる。
すると、どうなるか?
女房子供でもいないかぎり大抵は辞めて行くだろう。

【怒りの特別感の正体】胸倉をつかめる距離があり始めて怒りは特別になる。

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怒りを特別だと考えている人は多いが、怒りは胸ぐらを掴めるだけの距離と、 それが無理なら相手にデメリットを与えられる環境があって始めて特別に機能する。
毛虫がいたら距離を取るだろう。
それが多くの人が感じる怒りの特別感のほとんどの正体だ。

怒りと交渉のバランスについて。

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確かに交渉に多少の輩感は大事なのだが、やりすぎると悪が自分側になる。
多くの戦争が国同士大義を持つように人のこころには悪は倒して良いという根が根ざしている。
するとどうなるか?
初手は有効だったはずの怒りの効力が時間がたつほど落ちていく。
相手が自分を被害者だと感じ始めると、いつの間にか話中が被害者vs被害者になる。
すると話はそこまでだ。
ある程度クレーマー相手の粗品は出るかも知れないがあいての大度は「これでもやるからとっとと帰れだ」
だから上手い人は、怒りも使うが相手の罪悪感もつつく挙動も行う。
しかしそれが出来るのは一流の営業や、一流の商売人だけでDQNやチンピラ、ヤクザが行うとギミックがべらぼうに下手だ。 
あれが様々なルールの中多くの人を術中にはめる商売人と、暴力でてっとり早くあいてを型にはめようとする輩の違いだろう。
暴力に頼っているから間のギミックが雑すぎる。
そもそも怒りをひきあいに出せば交渉が通るのは曲げられるルールがある時だけで、それ以外はただ怒っているだけの人だ。
クレーバぶってる馬鹿が、交渉のつもりで怒り、なおかつ曲げられるルールがないなら、まるで大根役者だ。

論破の際の台詞を間違えるとみっともない。

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人は自分が鉄板だと思っている決め台詞のような論破(できると思っている台詞)を中々手放さない。
それを言う時は感情的になっている事も多いから特にだ。
最早気持ちよくなりたいだけで言葉の意味もよく分かってはいないのかもしれない。
水戸黄門の印籠や、逆転裁判の「意義あり」というような台詞ならそれで良いのだ。
しかし水戸黄門が小汚い雑巾を懐から取り出し、「意義あり」という台詞の変わりに大声で「パンティー」と叫んだとして意味があるだろうか?
それを言えば相手が怯むと思っている台詞を間違えるとみっともない。

【芸能人あるある】不祥事で異常行動や欠点に認識される人格。

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薬物で捕まる芸能人が一番分かりやすいのだが、人は一度不祥事を犯したり勢いをなくしたりすると、今まではキャラクターとして認識されていたものが、急に異常行動や欠点に認識されたりする。
私達の人間性はレッテルというパーケージにつつまれていて、ブランドイメージを損なえばすぐに評判が傾く。

「お客様の幸せは営業の幸せ」の本当の意味と営業のサイコパスのような心理感。

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営業が教科書的に言いたがると私が偏見を持って見つめている台詞。
少なくとも私が今読んでいる本(営業の魔法)には″営業は、商品を利用して下さった人が喜び、そして幸せになっていただくことが第一の使命です。
私たちは、お客様からいただく、『ありがとう』ということばだけが最高の報酬なのです。″と書かれている。 
「お客様の幸せは営業の幸せ」とか言う類の台詞だが、ただの建前の綺麗事だと思っていた。
しかし最近では建前の他に、長く営業を職業にしていると「お客様の幸せは営業の幸せ」が「自分の幸せがお客様の幸せ」に置き換わるのではないかと私は考えている。
悪中の悪である架空請求業者ですら自分を正当化する。

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人は正当性のない行いをすると罪悪感に苦しむ。
営業が難しいのは誰もが知っている。
だから営業は人の出入りが激しいんだ。
そんな中で成績を出し続け、会社に何年も席を置く人間が「営業の幸せはお客様の幸せ」というような契約だけでノルマを達成できるはずもない。
しかし人は自分を悪において物事をを行い続ける事なんて出来ない。
そこで陥るのがそんな事は到底ないと分っていても「自分が営業したお客様は全て幸せになった」と自分に言い聞かせる事。
自分が営業する客は100%幸せになるなら、営業成績をとった自分が幸せなら契約をしたお客様も同じ気持ちを共有しているという現場に何度も遭遇するはずだ。
嘘でも本当でもだから「お客様の幸せは営業の幸せ」。
そういう倒錯した人間でないと営業成績は上がらない。