感情の当事者には必ず正当性がある。だから面倒くさい。

face_angry_man3.png

人間は自分の感情に正当性を持つ。
仮に後で否定してもその時は正しいと思っている。
私は正当性は尊重したい。

仮に相手の感情が私にとってデメリットがあって否定したり相手の言葉を遮ったりした方がメリットがあるなら、そうする。
そうでないなら(そうしても変わらないなら)本人の感情がさせたいようにさせるしかないし、そうしないと基本的に人間は治まらないだろう。
本人は正しいと思っている、それについて私は何も思わない。
ただその感情が私にとってデメリットがある時、それが面倒臭い。
基本的に人間は好きなようにすれば良いと思うが、そこに利害の不一致があるなら否定したりできるだけ上手く受け流したりしなくてはいけない。




本人は正しいと思っている。
私はそれを尊重する。
でもそれが私にとってデメリットがあるなら否定する。
否定しても変わらないなら極力受け流す。

どうせ自分は全て正しいと言うような顔をした人間も責任の所在を問えない人間には、何もできない。
たまたま言える人間に感情をぶつけているだけで、同じ感情を持っても言えない人間には言えない。
最終的に我慢できることも窓口があるから、当たり散らしている。
でも窓口がなかったら当たり散らさない。
どうでも良い所詮はその程度の感情だ。
あるいは最後は泣き寝入りするしかないが現実として過ぎ去る程度の感情だ。

正当性がある、だから尊重する。
しかしその感情をどうするかはデメリットとメリットの問題。
正しかろうと正しくなかろうと、結局人間はメリットとデメリットで生きている。
正しかったら何でも許されるわけではないから同じ感情を抱いても相手を見て態度を変えるんだろう。

同じ事をしても、罪悪感を抱くべき人間と、罪悪感を抱かなくても許される人間がいる。
私は罪悪感を抱くべき人間だから罪悪感を持つが、他の人間には罪悪感を持たせれない事を私は知っている。
これは私が私でいるためのポーズだ。
同じ事をしても比重が変わるなら正直罪悪感なんて持つ必要性はない。
どうせ相手によって態度を変える程度の感情でしょう。