ネット社会の透明人間、匿名性について。

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匿名になると言うのは透明人間になるようなものだ。
創作の透明人間は大抵色欲か、或いは人を精神的にか暴力的にかでからかいたがるが、人間が本当に透明人間になって抱く欲望と創作は恐らく大差がないように見える。
創作の透明人間には、何かをきっかけに元に戻れなくなるターニングポイントが幾つかあって、そうなると反転、見える体を持っている人間に嫉妬しだす。
それは匿名も同じで、嫉妬ではなく嫌いだから、見下しているからと理由はつけても、わざわざ半匿名や、タレントのような人格にちょっかいを出している様は嫉妬しているようにも見える。

創作の透明人間は、きっと透明なままで居続けたら人から見られる事で自我を画一出来ず自分を見失ってしまうだろうが、現実の匿名にもそれは見られる。
何て事を書いたら直ぐに使い降るされた技法で″ブーメラン″と書きたがるのも匿名だが、匿名の人間は″ブーメラン″と言われないようにまずは身分を隠している。
そして眼をつけられたら、行方を眩まし、また別の匿名になってしまえば良い。

とにかく匿名と言う人達は、責任を持たなくても良い人達なのだから、そんな人達が何を言ってもある程度適当で、どんな嘘をついても匿名は匿名なんだから透明人間と同じである程度逃げられるだろう。
そんな人達の意見がもっともらしく連なっているのが一部の匿名の意見だ。