" 驚きを日常に" に見るきゃりーぱみゅぱみゅが飽きられた理由。

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きゃりーぱみゅぱみゅと言うキャラクターは確かに斬新で彼女には新鮮な驚きがあった。
しかしそんな彼女がどうなったかと言うと彼女のその後を暗示する歌詞がある。
にんじゃりばんばんの" 驚きを日常に" と言う歌詞だ。
驚きが日常になったら人はどうするか?
何度も目にする内に新鮮味がなくなってる。
そしてやがて飽きが来る。
きゃりーぱみゅぱみゅの現状だ。

飽きのメカニズムは分かってしまう事にある。
始めは新鮮味を持って受け入れられていたきゃりーぱみゅぱみゅも何度も見る内に「ああ、この人はきゃりーぱみゅぱみゅと言う人でこう言う歌を歌う」と分かってくると新鮮味がなくなり結果飽きられる。

分かられる事で仕事が減ったキャラクターで敢えて例を出すなら芸人の品川祐がいる。
彼は長年ウザい男として、お茶の間で認識されていたが、しかし彼が何故ウザいのか的確に説明できる人はいなかった。
そしてウザいと言う認識と彼のメディアでの活躍を照らし合わせると「成功に嫉妬してウザいと感じるのだろう」と言う風な考えも可能な為、彼に面と向かってウザいと言うような人は目立って居なかった。
それに当時はウザいと言われても嫉妬で片付ける事が出来た為、彼にウザいと言っても大したダメージにはならなかったのだ。
人は分からない物に興味を持つ物で長年彼はウザいと思われながらもメディアに君臨し続けた。

しかし有吉弘行は彼に言ってしまったのだ「お喋り糞野郎」と。
成功者の言動は嫉妬からウザく感じる事はあっても、お喋り糞野郎に嫉妬する人はいない。
品川祐に感じていたウザさは成功者に体する嫉妬ではなく、お喋り糞野郎に体するイライラだった。
そう悟られた時、彼の長年の商売道具だったウザさは飽きられた。
人は理由が分かった事には興味を無くす事がよくあるのだ。
変な格好をした少女が変な歌を歌う。
ヤクザみたいな風貌をした男がパイナップルとペンを空想の中で繋ぎ合わせる。
始めは斬新な発想に知的好奇心を揺さぶられても、何故の部分が解明されれば飽きる事も多い。
そして飽きると言う事は執着から解放される為の一つの近道だ。

何故について考え、理由を飽きるまで繰り返す。
そしたら意外と早く飽きはやってくるのかもしれない。